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平蔵と兎忠の歌舞伎観劇記 ブログ版
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釣女(つりおんな)

2007/05/30 18:28
 太郎冠者:歌昇
 上臈:芝雀
 大名某:錦之助
 醜女:吉右衛門

 大名と太郎冠者が霊夢によって得た釣り針を用いて、大名は美女を、太郎冠者は醜女を得るという狂言を元にした松羽目物。
 話が単純で、登場人物の対照的な様子が笑い誘います。

 芝雀と錦之助の美女と美男ぶりと、吉右衛門の醜女ぶりの対照が誠にはまります。

 吉右衛門の醜女の顔は、良くここまでかけるなあと言う程、一目見ただけで笑え、何度でも笑え、最後まで笑えます。
 二枚目スターがコミカルな醜女の役をするというだけで笑えますが、難癖を与えない演技をしてこなすところがこの人の奥の深さでしょうか。

 おきまりの役柄を、歌昇はきわめて実直に、実にうまく演じます。
 まさに実直なところがこの人の良いところです。

 わらいそ誘う、狂言を元にした松羽目物は、歌舞伎座でも

 すっきり笑えたところで、昼の部の幕が下ろされました。
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鬼平犯科帳 大川の隠居

2007/05/24 14:51
 長谷川平蔵:吉右衛門
 友五郎実は友蔵:歌六
 粂八:歌昇
 佐島:段四郎
 久栄:福助
 忠吾:松江
 左馬之助:富十郎

 私にとって初めての舞台での鬼平です。
 吉右衛門との出会いがテレビドラマの鬼平ですから、思い入れは尋常ではありません。
 吉右衛門の長谷川平蔵は、まさに「本物」以外の何ものでも無いのです。

 さて、今回の大川の隠居は、つい最近、再放送されたばかりです。(というか、この公演に合わせて放映したのでしょう。)
 筋書きによると、原作者の池波正太郎の原作の中で最も人気のある作品だそうです。(ちなみに私は、流星でしょうか。)
 最近のテレビシリーズは、役者さん達が高齢化してきて、大変残念です。
 猫八師匠も亡くなってしまったし、最新の2005年の山吹屋お勝のハイビジョン放送では、吉右衛門や梶芽衣子のアップを見るのがつらかったです。

 しかし、舞台はやはり違います。(もちろん、遠目のせいです。)
 格好いい平蔵が復活です。

 筋書きを見ると、ずいぶん脚本を悩んだそうですが、第一場はともかく、第三場までは、ストーリーとはほとんど関係のない場面が続いてどっちらけです。

 第一場の粂八演じる歌昇はなかなか。テレビでは同心を演じて支えていますが、個性派俳優蟹江敬三の印象が強いこの役をうまくこなしたと言うところでしょうか。

 特に第二場の福助演じる久栄にはがっかり。無理矢理役と場面を作ったという感じが丸見え。
 そもそも、原作での久栄はとても質素ですし、テレビドラマの多岐川裕美はゴージャスなお姫様になれているこちらには、福助のだみ声にはがっかりですし、場面はストーリーに全く関係ありません。
 第三場の平蔵の親友左馬之助の登場も全くストーリーに関係なし。かろうじて、富十郎の年を感じさせない若々しい演技が救いです。

 第四場の松江の忠吾は、ひょうきんさが良くでていてなかなかの出来。

 大詰めの吉右衛門と歌六によるがっぷり四つの演技には感動しました。
 ほとんど二人の会話だけで大盛りあげる力量にはただ脱帽ですが、脚本が一言一言よく練られているおかげでもあります。
 池波正太郎の臭さが逆に押さえられているのにも感心しました。
 とここで、第二場第三場が全く無駄ではなかったことに気がつきました。刺身のつまですが、この大詰めの盛り上がりのためのプレリュードの役割はきっちりと果たしていたのでした。

 最後に、蛇足を。
 当日券で入場したため、1階席の中央の3席を独占して優雅に見ていたのですが、前の席に座っていた歌舞伎観劇は初めてと見えるおばさま達が、大詰めの一番良いところで、ざわざわし出し、ついにはお疾呼に立ち上がって、どちら側から通路に出ようかしばらく立ちん坊という状況に出くわしてしまいました。 
 おいしい話には何とかという教訓でした。
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鳴神

2007/05/23 11:31
 平成19年新橋演舞場5月大歌舞伎昼の部
鳴神上人:市川染五郎
雲の絶間姫:芝雀

 昨年9月以来久し振りの歌舞伎です。
 昨年から行っている吉右衛門が音頭をとっての新橋演舞場を舞台にした大歌舞伎の2回目の興業です。

 この鳴神という演目は、染五郎の祖父である白鴎が染五郎時代に復活を成し遂げた由来のある演目と言うことで、本人曰く「高麗屋を名乗る者としてこうしたものが出来なかったら他に何が出来ても意味がない」という覚悟で臨んだようです。(筋書きより)
 しかし、新聞の劇評では、あまり良い評判ではなかったので、そんなことも気になりながら見ました。

 
 この鳴神は、最近人気の演目と見えて、毎年のように人気スターが演じてます。
 私も、新之助(現海老蔵)、橋之助、三津五郎などに加え、9世海老蔵のものを映像で見たことがあります。
 今回の染五郎の演技も、それらの者と比較してしまいます。

 劇評家が見たのはたぶん初日で、私が見たのは千秋楽近くなので、だいぶんうまくなっているはずで、劇評の言うほどまずとは思いませんでした。
 まず、顔立ちはとてもすっきりして好感が持てました。
 気になったのは声で、はなから大きく、最初からこんなにとばして良いのかなあと心配になりましたが、案の定、後段ではちょっと声の衰えを感じました。
 また、欲を言えば、下界を離れた上人の超越性や威厳が足らないところは否めません。
 こうした役は、元々内に狂気を秘めている獅童とか海老蔵の方がいい味を出せるのかもしれません。

 雲の絶間姫は、芝雀です。
 品の良さと色っぽさがが良く出ていて、今まで見た中では一番良いと思いました。


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平成18年9月歌舞伎座秀山祭大歌舞伎

2006/09/13 10:18
 待望の秀山祭に行って参りました。
 初代吉右衛門誕生120年を記念して行われた9月の歌舞伎座は、初代の俳号である秀山を掲げての公演となりました。

 吉右衛門と、実の兄である当代の幸四郎との本格的な共演はどれくらい無かったのか分かりませんが、当然私は初めてです。
 今年の1月の歌舞伎座で同じ演目に出演する機会がありましたが、同時に舞台に出はしなかったので、本格的な共演としては数えられないでしょう。
 今年の5月の新橋演舞場での座頭公演といい、今回の秀山祭といい、毎年恒例としたいとの意向とのこと。吉右衛門の名前を次ぐものがいない中で、芸を次いでもらうとの意気込みを表しているのでしょう。
 すなわち、当代吉右衛門には男の子がいないし、養子に適任がないようで、吉右衛門の名前を次いでくれるものがいないということなのです。そこで、その代わりに、吉右衛門の家の芸を今の時代につないでいくために、5月の新橋演舞場と、9月の歌舞伎座公演を、いにしえの吉右衛門劇団ふうに同じ座組で繰り返していくことでその念願を叶えようとするとの意のようです。

 松緑、魁春、そして、海老蔵、勘三郎、籐十郎と大きな襲名が続きましたが、そろそろネタ切れを迎え、松竹としても、目玉作りに動いたのでしょう。

 その秀山祭ですが、なんと不仲を噂され、私の知る限りここ何年も共演してこなかった幸四郎、吉右衛門兄弟が共演という話題も加わりました。
 元々、兄弟ですから、見た目も声も似ています。隣に並ばなくても、似ているなあと思うことはしばしばです。そこに共に人気役者ということで、芸の上手下手も比べられますから、幸四郎、吉右衛門の兄弟でなくとも比較されるのをさけたくなるのは道理でしょうが。
 しかし、観客としては、せっかくの人気役者が共演しないのは惜しいこときわまりないわけです。
 ここに、共演がなったのも、共に還暦を超え、吉右衛門は日本芸術院会員となる一方、幸四郎も紫綬芳書を受賞したことや、幸四郎の同年齢の菊五郎が人間国宝になったことなど、共々一通り名を遂げたこともあるのではないでしょうか。もちろん、今後、人間国宝については、祖父や父親、そして叔父たち同様になる可能性は高いと思いますが、菊五郎に先を越されたのは、ある意味、歌舞伎への貢献度や順番からすれば同然であるものの、悔しい思いもあるに違いありません。
 こうした状況にいたり、兄弟いがみ合うのはもうよそうという感じがやっと生まれたのではないでしょうか。
 そういった意味からも、今月の二人の演技がどのようなものになるのか興味津々です。

 そういう今月ですが、宿題に負われ、2学期が始まる兎忠くんは、お休みで、久々に女房殿が同行してくれました。
 このため、食事も歌舞伎そばから離れ、宮川のウナギと行きました。おいしかったです。地下食堂というのも初めてではないでしょうか。
 結構席は空いていて、ゆったり座ることが出来ました。

 また、ウィークデーというのに客席は満員近く、一幕見席のために並ぶ人の数はびっくりするくらい大勢でした。私が見た中では一番多い部類でした。
 もちろん客層は、お年寄りがほとんどでしたが、男の人も含め若い人もちらほら見られました。

車引
 幕開きを飾るのは、人気狂言「菅原伝授手習鑑」の中の様式美溢れる「車引き」です。
 演じるのは、この日、この幕のみという松緑と亀治郎に染五郎です。

 彼らによるこの日の幕を見て始めて車引きという演目が分かった気がしました。
 というのも、これまで、3人の人物設定と演じ方、特に桜丸が和事ふうに演じるという設定がぴんと来なかったのですが、この日の亀治郎の演技でやっと腑に落ちました。
 和事ふうというますが、そういうよりは、育ちのいい貴公子ふうの武者が桜丸、野趣溢れる荒武者が梅王丸、少し苦みが走った悪者ふうの武者が松王丸というのが本当なのでしょう。
 別な言い方をすると、松王丸をこれまであまりにいいヒーローというように誤解していたのが全体を誤解していた原因の一つです。そして、桜丸の育ちのいい、近衛兵的な武者の役作りを、単なる和事ふうと誤解して演じてきた役者たちのこれまでの演技のせいでした。七之助といい、春猿の桜丸といい、柔らかさばかり強調して、育ちの良さ、気品と武者の強さを並立させないのが誤りでした。
 また、松王丸にしても、その使える時平に冒された「悪」をのぞいてかっこよく演じすぎなのです。本来ワルぶって演じるべきなのです。だって、親分がワルなんですもの。
 そうです。三つ子の性格は、その使える親分によるのがこの演目の肝なのです。逆に言うと、そういう根本で認識せずに、梅王丸が荒事で、桜丸が和事だという理解の仕方が間違っているのだと思います。そうでなければ、松王丸はなんなんだということになるではないですか。

 そういうことで、今回の亀治郎の桜丸は、私の目の鱗を落としてくれたすばらしい演技でした。

 松緑の梅王丸は元気いっぱいでそれろれで良いのですが、元気だけではなく、もう少し台詞周りで味のあるところを見せてもらいたいものです。また、梅王丸の刀も、はじめは2本で、いったん引っ込んでから3本となっているのに気が付きました。三越歌舞伎の猿弥の梅王丸は最初から3本刺さっていたように思いますが、なぜなのでしょうか・・・・・。それよりも何よりも、松緑の芸域の狭さが気になります。おじいさんにもっともっと近づいてもらいたいと思う今日この頃です。

 染五郎の松王丸は、ワルな感じは出ていて良かったのですが、こちらももう少し台詞廻しにつやが欲しかったところです。

 そして、杉王丸に種太郎が出演。残念ながら、他の3人には距離をあけられてますが、劇全体としてはバランスがとれて、新鮮さが好感でした。

引窓
 こちらは、吉右衛門、富十郎、芝雀、吉之丞による充実のひと幕になりました。
 話としても、現代から見ても十分通用する内容なので、こちらも、もう泣き泣きでした。
 
 まずは、吉右衛門が与兵衛を見事に演じます。代官に取り立てられてうきうきのところなどはこちらが見てても、うれしくなってしまいますし、母の妙な仕草から、真実を察するまでの心の動きなども手に取るように分かります。

 芝雀の女房お早も、一緒に任命を喜んだり、長五郎をかばうところなどは、そうした吉右衛門の演技にあわせていい取り合わせとなっていました。

 吉之丞の母お幸は、お幸はこうだろうというような見事な演技でした。もちろん、吉之丞的な台詞廻しではありますが、役にぴったりはまってました。

 富十郎は、本来の小兵を感じさせず、大兵の関取を見事に演じました。こちらも、腰にいすを当てるなど歌舞伎ならではの工夫もありますが、存在感はこの人ならではの演技力から来ています。

寺子屋
 幸四郎、吉右衛門共演の寺子屋です。
 やはりこの幕の主役は、松王丸なのでしょう。
 幸四郎の松王丸は、多分、初代吉右衛門はこうして演じたのだろうというように演じています。
 結構台詞廻しがくどいのが特徴になっています。
 一方、吉右衛門の武部源蔵は控えめなうちにも、熱く演じます。
 この二人が舞台に立つと緊張感が走り、久々に、ワクワクする気持ちを感じることができました。
 しかし、全体としての出来としては、幸四郎のくどさが鼻についてしまったのが残念でした。もうちょっとさらりと演じてくれれば良かったのに。
 
 そして、幸四郎と吉右衛門では、はやり、吉右衛門の方が巧いと言い切るのがうちの女房殿です。そうなのでしょう。
 私も、幸四郎は、ハートで演じる名優ではありますが、どちらかといえば性格俳優の面が強いと改めて感じました。
 一方、今回の武部源蔵や引き窓の与兵衛の演技などを見ると、吉右衛門は演技派だなあと思います。
 今回は、武部源蔵が管秀才の首を打つときに放つ声が舞台裏からちゃんと聞こえました。これまで聞こえたためしがなかったのは、私が注意散漫だったからかもしれませんが、この音が大変舞台を好ましいものとして、涙を誘いました。

 魁春の戸波、芝翫の千代は、押さえた演技が好ましいものでした。
 千代といえば、子別れの場面があった玉三郎の演技が強く旨に残っています。子別れの場面があるとなしでは、千代の存在感が違うということを痛感しました。
 千代の存在感がもっとあった方が、松王丸の演技も光るのではないでしょうか。いずれいせよ、子を思う親の心が見所ですが、男親と女親の違いが見所にもなります。
 
 段四郎の玄蕃は、貫禄十分で、かつ出過ぎず、大変いい出来でした。

 寺子の与太郎を演じる松江は、お約束ですが、もうちょっと軽く演じたらと思いました。

 義太夫は、綾太夫に喜太夫がいい声を聞かせてくれました。喜太夫は久ぶりに見たような気がしました。

 全体としては、緊張感のある、泣き泣きの幕でしたが、やはり、子別れの場面も加え、千代の存在感をまして、全体をまとめた方がもっとインパクトがあるでしょう。
 また、現代的には、宮仕えとは言え、他人の子供を黙って殺してしまうのにはどうも抵抗がありますので、殺す対象を最初から、松王丸の子供だということを明らかにしておいた方がいいと思います。

 観劇記のHPはこちらです。http://www.st.sytes.net/kabuki/
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平成18年8月歌舞伎座第1部

2006/08/24 20:19
 今月は、兎忠君がお休み。
 彼は、夏休みで、本来は暇なはずですが、宿題で忙しいらしく、「今月は休む。」と言いました。
 だんだんかわいくなくなってきます。

 私の方も、予定がなかなか立たず、前日になって第1部をみることに決定しました。
 お目当ては、新作舞踏劇のたのきゅうです。

 お昼は、いつもの通り、歌舞伎そばです。が、実は、おそばそのものを食べるのが久しぶりだったので、ざるを2枚頼んで完食してしまいました。予約どころで、2枚お願いしたところ、二人分として並べられてました。一人で二席を占領し、2枚いただきました。

慶安太平記〜丸橋忠弥
 由井正雪の乱に題材を得た、黙阿弥の明治3年の作品です。
 全7幕の長編のうち、丸橋忠弥の2幕のみの上演です。

 しかし、この2幕について申し上げると、出来が悪いとしか言いようがありません。
 丸橋が幕府転覆の乱の指導者でありながら、その実行前に幕府方の義父に計画を漏らしてしまいお縄になってしまうという、何とも情けないストーリーになってしまっているからです。
 現代の感覚からすれば、自分の娘かわいさから、義理の息子から幕府転覆の計画を打ち明けられても、隠し通すのが当たり前なのでしょう。しかし、封建制の江戸時代には、「自分の家を守ること=主家をまもること」が最高の価値感であり、そのためには、娘の一人や二人殺してもかまいはせぬのが当然です。それなのに、徳川方の義父に幕府転覆の計画を明らかにしても見逃してくれると考える人間がその計画の首謀者とはお粗末すぎます。
 まして、9段目の大星由良之助のごとく、わざと飲んだくれて、味方まで見極めようという人物が、そんなところでしくじるはずがありません。
 ストーリーがこういうもののせいなのか、大捕物で幕となります。大変気合いの入った捕り物ですが、これまたしくじりを隠すようにがんばりすぎです。

 橋之助は、丸橋にはまり役な上に、熱演で申し分ありません。
 扇雀の奥方は、演技としてはなかなかですが、ちょっと年を食っているように見えてしまいます。そして、どうも見た目が貫禄もありすぎのようです。
 市蔵の藤四郎は、難しい役ですが、うまくやれてません。弓を作る職人ですが、大店の番頭にしか見えません。
 染五郎が伊豆守に挑戦です。見た目はなかなかですが、やはり貫禄がもっとほしいです。
 見所となっている大捕物の立ち回りですが、役者の皆さん大変がんばっており、ここだけみると良い出来でした。

近江のお兼
 力持ちの遊女を主人公にした長唄の名作舞踏です。

 花道の出から、福助演じるお兼が笑顔で踊るのが印象的です。
 力持ちということを愛嬌で示す笑顔だと思いますが、楽しそうに踊っているようにも見えます。

 長唄が名曲と言うことで、必死に聞き取ろうとしますが、なかなかうまくいきません。
 1節明確に聴き取れましたが、劇場をあとにしたら、見事に頭から消えて無くなりました。
 この日の里長は、あまり声に張りがありません。隣の文五郎の方がずっと良い出来でした。
 
 福助の笑顔のおかげか、眠くもならずに楽しい一幕となりました。

たのきゅう
 わかぎゑふ作の新作舞踏劇です。
 たのきゅう一座のおろちとの邂逅をトピックにした楽しく、わかりやすいストーリーです。

 楽屋裏の背景をミニチュアにしたり、舞台を円形かつ高見かつ背景にしたり、出演者を民話よろしくポエティックなメイクにしたり、と随所に工夫がしてあります。雰囲気はでてますが、成功までしているかというと、なかなかそこまでは行ってないように思われます。
 出演者も、演技達者で、一癖もふた癖もある人たちがでていますが、ちゃんとウケをとっているのは染五郎だけです。
 三津五郎自身が、ポワポワしすぎて、もっと太い線をださいといけなかったと思います。作者はポワポワしているのを意識していたんだとは思いますが、それでは歌舞伎座の広い舞台で精彩を放つには至りません。
 ポワポワしていると言えば、三津五郎の長男の巳之助がけんきゅう役でポワポワしていますが、口を開けて、白い歯を出しっぱなしなのは、ゆるみすぎてみられたモンじゃありませんでした。ただ、太鼓はお上手でしたが・・・。(けなしておいてなんですが、巳之助君は、眉毛といいとぼけたところといい、兎忠君にそっくりです。)

 なお、この舞台、忠臣蔵の鷲坂伴内役で強く印象に残っている故板東吉弥の孫の小吉君が初舞台をふんでおり、大物の片鱗を伺わせていました。

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平成18年7月歌舞伎座昼の部

2006/07/24 17:21
今月は、この所恒例となった感のある玉三郎と猿之助一門の一座による泉鏡花の作品です。
 泉鏡花は、残念ながら名前だけしか知りませんし、玉三郎の演じたものも初めてです。
 妻には「玉三郎といえば泉鏡花というくらいじゃないのー!」と言われましたが、これまで出会いがありませんでした。
 そうです。玉三郎が座頭の歌舞伎座7月公演も、この3年間みれてません。
 そのうち2回はチケットを買ったにもかかわらず、妻のお母さんやお祖母さんに譲っています。
 ということで、満を持してのお玉ちゃんの舞台ということになります。
 
 今日のお供は2ヶ月ぶりに兎忠くんです。
 8月は夏休みで忙しいので行かないとのたまった兎忠くんですが、今月は着いてきました。
 今月のお昼は、二人でさんざん悩んだあげく、歌舞伎そば。
 兎忠くんはいつもの天ざるで、私はあったかい山かけでした。
 歌舞伎そばでいつも思うのが、席の並び方です。
 二人で行くと必ず、横に並ばされます。そして、他のお客さんと向き合って座ることになるのです。
 やはり、連れとは向き合って座らせてもらいたいのですが、他の人はそう思わないのでしょうか?

夜叉ヶ池

今月は、昼夜4本すべて泉鏡花の戯曲です。
 画期的な試みということで、宣伝もされてますし、筋書きも泉鏡花一色です(当然か)。
 それらの諸解説では、鏡花は分かりにくいだの、「幻想的」、「日常と飛躍している」、「詩のような世界」だのいろいろ言われていますが、やはり、見てみるにしくはありませんでした。

 この演目には、玉三郎は出てきませんが、それぞれの役者さんがよく演じて、大変出来の良い舞台でした。
 話しも大変わかりやすかったのですが、これには、玉三郎の演出の功績も大きいのでしょうか。
 ストーリー自体も、魔界と現実界が巧く絡み合ったわかりやすいものになってます。
 魔界と現実界をつなぐのが夜叉ヶ池と鐘の言い伝えということになりますが、登場人物がそうした世界を浮き彫りにするように個性的に描かれており、それを各人が巧く演じています。
 巧く演じるという言葉は大変便利なのですが、多分玉三郎の演出によって、鏡花的な幻想的な世界にあうような統一色で演じることが出来たためかもしれません。
 これは、逆に次の演目の海神別荘での海老蔵の演技が統一感を出し切れていなかったために、なおさら印象強く思われました。
 台詞は現代語となっています。しかし、先日見た綺堂の箙の梅のような違和感はまったくありませんでした。
 玉三郎もインタビューで言ってますが、鏡花の作品は、「浄瑠璃の口さばきとか、謡本の音遣いとか、古典の技術がベースになっている」ためか、歌舞伎役者が、歌舞伎の演出をもちいて演じることが大変自然に感じました。
 さらに、効果音としての三味線が、古典歌舞伎のそれよりも効果を上げていました。

 春猿は、美しくもはかなげな百合と夜叉ヶ池の女王を見事に演じます。
 段治郎の鐘楼萩原晃守と、右近の文学史山沢学円もまったく違和感なく、それぞれを演じきっていました。
 薪車の代議士、欣弥の新刊、寿猿の村長らの悪役は、本当に腹の立つ悪役でした。
 夜叉ヶ池の眷属たちも猿之助一門の実力と統一感が発揮され、秀逸でした。

海神別荘

 海底に住む魔物たちの世界を描いた海神別荘。
 海底の幻想世界を、ブルーに白、黒に黄金という配色で、見事にこの世に再現しました。
 そして、人間界の美女に玉三郎という不世出の女形、海底の世界の公子に海老蔵という美男の偉丈夫を配して物語をつづります。

 なんと言っても、そのすばらしい舞台美術と玉三郎、海老蔵をはじめとした役者の出で立ちは、そしてハープの調べは、私たちを海底の幻想世界に連れて行ってくれます。
 また、物語は、海底の世界と地上の世界の常識の差異をことさらに明らかにすることで、人間社会の醜さと”美しいもの”へのあこがれをいやがおうにも際だたせ、話を単なる夢物語に終わらせません。
 
 しかし、これらのすばらしい要素を得てもなお、この劇は、公子のせりふと演技次第でいかようにもなってしまうようです。
 黒と黄金によるその出で立ちは、この物語の公子は海老像以外にないといわせるほどのはまりようです。
 舞台に座ってたたずむだけでも見に来た価値があるほどです。
 しかしそのせりふは、冒頭ではやや高く、若さと軽率さを表す声で始まりました。
 途中に、やや低く、おなかから発する低い声で、強さと老練さを表す声が混じり、公子の性格を捕らえることにとまどいを感じさせられます。
 公子は、海底の世界の美と力の化身で、この世のものではありませんから、その見た目だけでなく、声にこの世のものではない力が必要だと思います。
 公子の話す内容には子供じみた無垢の心から出るものもあることから、演じる役者は悩んでしまうのでしょうか。
 こうした声の調子の変化は意図的なものでしょうか?たぶん意図的なのでしょう。
 しかし、とても成功とは思えません。
 私としては、やや低く、おなかから発する低い、威厳のある声で統一すべきであったと思います。

 玉三郎演じる美女は、この世のものとも思えない、無垢な美女を見事に演じていますが、死を選んだのち、それを翻意する理由が読みとれませんでした
 ここのところは、玉三郎と海老蔵の演技の問題なのか、鏡花の原作の問題なのかは定かではありませんが、残念なところです。

 笑三郎の女房は品があり、非のない演技でした。
 猿弥の僧都はなかなか。
 門の助の博士は可もなく不可もなし。

 問題は、歌女之丞、京妙らの侍女たちです。演技力はさておいて、お年が見えてしまって、興ざめでした。もっと若い人たちにやらせたらよかったのに。

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平成18年6月歌舞伎座昼の部

2006/06/29 19:40

 2ヶ月ぶりの歌舞伎座です。

 兎忠くんが風邪でダウンしたため、急遽、友人のO君を誘いました。幸い、仕事も休みだったようで、久しぶりに、友人との観劇です。



 前にO君と歌舞伎座に来たときには、お弁当を座席でいただきましたが、今回はそばにしました。

 二人とも天ざるをいただきました。考えてみると、私にとって、歌舞伎座で初めての天ざるかもしれません。

 O君は、そばを平らげた後、そば湯をおつゆに注ぎながら、そば湯をつゆに加えて飲むということをずいぶん大きくなってから知ったと笑いながらは明らかにしました。



君が代松竹梅



 翫雀、孝太郎、愛之助の関西勢によるおめでたい舞踏です。



 相も変わらず踊りはよく分かりませんが、衣装が面白いと眺めました。

 明るくおめでたそうですが、様々な色と模様の生地の組み合わせで、統一感がありません。

 伝統的な柄なのでしょうか、それとも、斬新さをねらったのでしょうか。



 翫雀の踊りは、いつものように、上手なものです。

 愛之助もなかなか立派です。

 孝太郎が、美しくないのが玉に瑕でした。



双蝶々曲輪日記〜角力場



 関西の角力を舞台にした珍しい一幕で、私にとっては初めての角力場です。



 幸四郎と染五郎親子の競演です。



 ストーリーは、張り合う力士の間で、お互いの贔屓が一人の遊女を取り合うのを代理戦争するという話で。

 濡髪が放駒との話を巧く進めるため、わざと勝負に負けるところが理解に苦しみます。

 案の定、わざと負けてやったことを持ち出しても、放駒は怒ってしまって逆の結果になってしまいます。

 舞台としては、力の差がある二人の力士の張り合いの妙がおもしろみということでしょうか。でも、二人の突っ張り合いだけではちょっと物足りないと言わざるを得ません。



 幸四郎の濡髪は、迫力十分です。

 座るときいすの上にさらに腰掛けを置くなど、力士の大きさを表すための演出も、手が込んでいます。



 一方、染五郎演じる放駒は、ちょっと軽い素人力士です。それらしく演じる努力は分かりますが、自分のものとするまでには至ってません。

 さらに、染五郎はつっころばしと言われる与五郎にも挑戦です。こちらは、強調された演出で、それらしく見えますが、他の人がやったらどうなのでしょうか。



藤戸



 松貫四(吉右衛門の筆名)作、宮島歌舞伎で初演された新作歌舞伎舞踏の歌舞伎座初お目見えです。

 

 平家物語の「藤戸」にある佐々木盛綱の功名話を元に作ったそうです。

 ストーリーは、功名を立てた盛綱の犠牲となった漁師の母が盛綱の前で恨み事を述べた後、浜の男女による間狂言があってから、藤戸の悪龍となった漁師の亡霊が出現し、これを盛綱が経を読んで退散させるというものです。



 なんと言っても、新作とは思えない格調の高さと完成度の高さを感じさせました。



 まず、里長らの長唄と栄津三郎らの三味線、田中社中のお囃子が格調が高い立派な演奏でした。

 相変わらず、長唄の中身はほとんど分からずに、途中眠ってしまいそうでした。

 山場の栄津三郎の独奏は、すばらしかったのですが、ちょっとやりすぎに思えました。



 さらに、最後の場面の悪龍と郎等たちとの戦いの形が美しく、新作とは思えない完成度の高さでした。



 吉右衛門は、老婆藤戸と悪龍の二役で活躍です。

 吉右衛門の女役は初めてです。やはり、固いところは否めませんが、老いた母の悲しみがしみ出てくるようです。

 最後の悪龍は、大変立派で、風格十分です。踊りも、郎等たちとの息がぴったりあって、こんな美しいコンビネーションは始めてみました。

 最後の花道を下がるところは、お囃子が幕の外で演奏して、そこまでやるかと言うほどでしたが。



 梅玉の盛綱は侍大将の風格十分で言うことなしでした。



 歌昇と福助の浜の男女の間狂言は、いいのか悪いのか分かりませんでしたが、箸休めということなのでしょう。



 残念ながら、長唄の唄っている内容が分からないので、眠くなってしまうのですが、新作にもかかわらず、舞踏劇としては大変美しく出来のいい作品でした。 



荒川の佐吉



 仁左衛門の佐吉による荒川の佐吉です。

 荒川の佐吉は、歌舞伎チャンネルで勘九郎と島田省吾の演じたものを見たことがあります。

 先日も仁左衛門と團十郎の演じたものを放映してました。



 仁左衛門の佐吉は定評があるようですが、正直、私はあまり期待してませんでした。

 ところがです。今回の舞台は、私が見た歌舞伎舞台の中でもっとも感動した舞台になりました。

 泣き泣きでした。



 仁左衛門演じる佐吉は、政五郎に口説かれて承知する時の返事がいまいちだったなど引っかかったところがないわけではありませんでしたが、すばらしい演技でした。これと比べると、勘九郎(現勘三郎)の演技は少し臭かったなあと思います。



 菊五郎演じる政五郎は、どうしても島田省吾と比較してしまいますが、負けないほど風格があってさすがです。

 しかし、卯之助を親のところに帰そうと佐吉を口説くときの殺し文句である(卯之助は・・・)「人間だよ」の一言が島田省吾に負けてました。



 染五郎は、大工辰五郎を熱演です。巧く演じると大変おいしい役ですが、違和感なくやり仰せてました。



 孝太郎は、親分仁兵衛の娘お八重を好演してました。



 段四郎演じる浪人成川郷右衛門は、何度も演じているだけあって、決まってます。しかし、結局は思いつきでやくざになるような人間ですから、もっと軽くていいんじゃないかと思います。



 芦燕演じる鍾馗の仁兵衛親分は、出と落ちぶれた後の感じがそれらしいのですが、やはり、台詞がもごもご言って、聞き取りにくいです。



 愛之助が一人、親分のために命を投げ出すおいしい墨田の清五郎役で出てきます。この愛之助のせいか、観客の若い女性の比率がいつもより高いように思いました。

 かっこよく決まってましたが、逆に他の役者とマッチしておらず違和感を醸し出してました。愛之助の清五郎はかっこよすぎです。



 時蔵は、丸惣の女房お新という難しい役ですが、いい感じを出していました。




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平成18年6月三越歌舞伎

2006/06/26 17:54
 念願の三越歌舞伎にいきました。
 6月に恒例の三越歌舞伎ですが、これまでチケットがとれず、見たことがありませんでした。
 今年も、チケット松竹で売り切れに合い、あきらめかけましたが、三越に直接問い合わせたところ、なんとか手に入れることが出来ました。
 第2次世界大戦で他の劇場が消失した中で、戦後の歌舞伎の復興を支えた三越劇場は、こぢんまりとした洋風の風格のある劇場でした。
 席は3列目とはいうものの一番上手。隣にはチョボ床(?)が作ってあり、義太夫の三味線の音が耳元で鳴り響きます。
 ちょっと、義太夫が近すぎましたが、やはり歌舞伎は小さい劇場の方が臨場感があっていいと思った次第です。

 この日は、開演ぎりぎりの入場となったため、楽しみのお昼は劇場ロビーで売っていたお弁当をいただきました。
 幕の内形式で、ご飯が巻物のお寿司でしたが、残念ながら、内容はいまいちでした。

車引

 今月は荒事と和事の二品。
 最初は、様式美で見せる荒事の一幕「車引」です。
 この演目は、勘三郎襲名興業で、海老蔵の松王丸、勘太郎の梅王丸、七之助の桜丸で見て以来です。

 本演目は、なんと言っても猿弥の梅王丸です。押し出しといい、台詞といい、迫力満点の演技でした。
 近くで見ると、細かいところまで観察できて面白いのですが、梅王丸は、手足に赤の隈取りをしているのが分かりました。
 また、刀もものすごく長いやつを3本腰に指してますが、演出で、柄を上に向けたり、下に向けたり、巧く使っているもんだと思いました。
 こんなに立派な梅王丸なのに、筋書きでは、自分は桜丸をやりたいと言っているのが笑えます。

 一方、桜丸は春猿がつとめます。
 桜丸は和事ふうなのでしょうか、見た目も、演技もなよなよしています。
 一方、役としては一応「舎人」という立派な武士なので、演じるのが難しいと言うことなのでしょうか。

 松王丸は、段治郎です。
 大柄なので迫力はありますが、声がだみ声でもう一息と言うところです。

 残念なのが、薪車演じる時平でした。
 時平は青い隈取りが特徴の実悪の代表のような役で、見た目だけで迫力を出さなくてはならないはずですが、そのプレッシャーからか、病気で具合が悪い病人のように見えました。

 義太夫は道太夫で、なかなかいい声を聞かせてくれました。

 兎忠くんは、舞台が狭すぎるとか、背景の絵が後ろの人の動きで揺れたとか文句を言っていましたが、私は、役者の息づかいが伝わってくるいい劇場だと思いました。

女殺油地獄

 この日の目玉は、獅童が主役のこちらです。
 最近キレて事件を引き起こす人たちが多くて困るのですが、その典型とされる与兵衛をどう演じるか注目です。

 獅童は、役柄に果敢に挑戦してますが、どこかしっくり来ません。
 一見、キレやすい若者という感じはでているのですが、親の言うことを理解できず人殺しまでしてしまう、他人には理解できない性格を十分に演じきれてません。
 そうです。他人には理解できない性格でなければあんな殺しは出来ないはずです。
 そうでなければ、近松のこの作品の出来がいまいちと言うことになります。

 一方、近松の脚本の出来がいまいちの可能性も否定できません。
 単なる自分勝手な男が、つい逆上して殺してしまう話としては、十分頷けません。
 直前には親のありがたさに泣いてしまっているのでなおさらです。

 それとも、与兵衛をキレさせてしまうことになるお吉との会話が充実していないためでしょうか。
 その会話次第では殺しのリアリティが増す可能性もありますが、そういう会話にはなっていません。
 
 かろうじて、金を貸すことを断られてキレてしまった獅童の演技は、結構あっちに行っていました。

 笑三郎は、商家の内儀を手堅く演じました。が、先日テレビで見た新・三国志の皇太后静華のイメージから抜け出せません。

 他に春猿、段治郎、猿弥が好演していましたが、なんと言ってもこの演目は、与兵衛の義父徳兵衛演じる市川寿猿と母おさわを演じる板東竹三郎の演技でした。
 まさに、本物の徳兵衛とおさわがそこにいました。

 浄瑠璃は三幕目に綾太夫が登場。しかし、残念ながら迫力がもう一つでした。
 びっくりしたのが、鶴沢寿治郎の三味線による効果音です。
 「ビヨ〜ン」とか「ピン!」とか、実に様々な音を出します。
 油まみれの殺しの場を見事に三味線の音だけで際だたせました。
 耳元でなるだけに、その技に感服してしまいました。

 演目終了後、エレベータに乗って地下に向かいましたが、竹三郎丈と乗り合わせました。
 兎忠くんは気が付かなかったのですが、後でそのことを教えたら、何でそんなに早く帰っちゃうんだとびっくり。
 自分の番が終わったら役者さんは帰っちゃうんだよと教えたら、納得いかなそうでした。

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平成18年5月平成若衆歌舞伎(於 ル テアトル銀座)

2006/05/23 12:25
ル テアトル銀座で行われた、平成若衆歌舞伎第五弾大阪男伊達流行を見に行ってきました。
 
 ル テアトル銀座は、銀座一丁目のホテル西洋銀座の建物にある客席数700ばかりの劇場です。
 恥ずかしながら、映画館があるのは知ってましたが、劇場があることを初めて知りました。
 
 席は真ん中右端とそこそこでしたが、座席がちょっと上向きになっており、兎忠君は座り心地が悪いと文句を言ってました。
 幕間の20分に軽くお弁当を食べる人たちが大勢いましたが、我々はカウンターでジュースを買いました。
 しかしその値段は気軽にいっぱいという感じではありませんでした。
 歌舞伎ですので、飲み食いはもうちょっと気軽に出来るようにしてほしいものです。
 ただ、場所が洋風の劇場ですので、無理なんでしょうが・・・。

 座組は、愛之助を柱に、松竹・上方歌舞伎塾の卒塾生を中心とした関西若手俳優です。
 演目は、岡本さとるの新作で、赤穂浪士・橋本平左衛門が遊女はつとの蜆川での情死を題材にしているとのこと。

 少々鼻につくものの、関西若手俳優人は、熱気あふれる演技を披露してくれます。

 愛之助の平左衛門は、いい男ぶりを見せてくれます。
 大歌舞伎でベテランたちとも大いに競い合ってほしいものです。

 一座の後見人、秀太郎は絵双紙から飛び出てくる幻想の女を見事に演じてました。
 生身の人間の気配を消して、本当の年齢をみじんも感じさせませんでした。
 先月の歌舞伎座公演の時、楽屋口へと向かう秀太郎丈とすれ違いましたが、同じ人とは思えませんでした。

 奴のお仙(千壽郎)は、筋書きを見るまで女優さんが演じているとばかり思ってました。
 平左衛門に殺される場面で、反り返るとき、はだけた胸の中が見えましたが、乳房が見えないのが異様なくらいでした。

 お仙の手下の源助を演じる松次郎は、このメンバーの中では出色の味のある演技を見せていました。今後が楽しみな役者です。

 おはつを演じるりき弥は、頑張ってますが、残念ながら、まだまだ芝居がくさすぎます。

 が、第一幕はさておいて、第二幕は、話の所々に、「そうじゃないでしょう」という部分が散見され、見るに耐えないストーリーになっていました。俳優陣の熱演が台無しでした。
 おかしいところをあげればきりがありませんが、お仙が平左衛門を身内にするために、十兵衛とおはつの兄弟をはめますが、そんなことをしたら平左衛門の恨みを買うだけです。案の定、お仙は平左衛門に最後は殺されてしまいます。殺されては何にもならないのに・・・。こんなむちゃくちゃな話に感情移入は出来ません。
 お仙が十兵衛をだました借金の証文も、そもそも偽りのものですから、奪って焼き捨ててしまったらいいのです。

 唯一、平左衛門とおはつの死に様が美しかったところが救われました。

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平成18年5月新橋演舞場夜の部

2006/05/22 18:20
 夜の部は、兎忠君が一緒です。
 お楽しみの食事をどうしようかと、お弁当屋さんを二人で物色。
 演舞場の目の前のお弁当屋さんで笹の葉寿司というものを購入しました。
 一口では食べきれない、笹に包まれたお寿司が6個で1050円です。
 鯛や海老などのお魚に加え、竹の子や椎茸などの山菜ものっかっていて、とてもおいしかったです。

 さて、吉右衛門率いる大歌舞伎ですが、ひいきの座組だけあって、配役が整っていて、全日とても楽しめました。
 昼と夜を通した全体としては、これまでに見た中では一番よかったです。
 それもそのはず、見たくない俳優も、演目もないわけですから。
 長唄お囃子連中も里長一門に田中傳左衛門社中がしっかりサポートしてますし、浄瑠璃も竹本連中が綾太夫はじめ総勢20名と最多出場だそうです。

 歌舞伎座と違って、席も比較的ゆったりしていて快適でした。
 夜の部は、1階席7列目の上手側。
 幕間は、兎忠君に袖を引かれて演舞場探検をしました。
 やはり、おみやげ屋さんは歌舞伎座にはかないません。
 おやつもこれはというものを見つけることができず、紅茶だけで不満顔の兎忠君でした。

増補双級巴 石川五右衛門

 期待の吉右衛門の石川五右衛門です。
 平成11年9月歌舞伎座のものも見ました。
 筋書きによれば、石川五右衛門ものは数多くあるそうですが、歌舞伎解説本に載っているのは、桜門五三桐(さんもんごさんのきり)です。
 このいわゆる桜門の方は、先日、仁左衛門がやっていたのを見ました。
 仁左衛門の五右衛門も立派でしたが、五右衛門といえば、やはり吉右衛門でしょう。

 今回の増補双級巴石川五右衛門の方は、桜門で演じられる南禅寺山門の場だけでなく、五右衛門の育ての親との邂逅と、これを捕らえようとする此下籐吉とのやりとりを筋に立て、つづら抜けの演出で観客を沸かせます。

 五右衛門の育ての親の次左衛門を、段四郎が持ち前のいい味を出して好演します。

 此下籐吉の染五郎は、すっきりした顔立ちとせりふ回しでなかなかいい演技です。
 しかし、五右衛門と二人で寝ころんで昔語りをする場では、吉右衛門と役者の大きさの違いが浮き彫りになってしまいます。
 がんばれ染五郎。
 前回見たはずで記憶にないのが、足利屋敷での、籐吉とののやりとりで、五右衛門が一度手に入れた三千両を、籐吉が捕まえた次左衛門と引き替えるストーリーです。此の場面があるおかげで、籐吉の方がワルで、五右衛門の方が善のような印象を与えてます。

 呉羽中納言の大谷桂三は、着物まではぎ取られるお公家様を、イメージそのものの好演です。
 いい味出してます。

 五右衛門演ずる吉右衛門ですが、ほぼ完璧な演技に酔いました。
 呉羽中納言に化けて此下籐吉一行をすれ違うときの、花道七三での笑みはたまりませんでした。
 宙乗りしてのつづら抜けは、前回は残念ながら一階二等席だったためにほとんど見えなかったのですが、今回はよく見えました。つづらから現れる場面がほんの少しぎこちなかったのが残念だった他は、大変うまく宙を泳いでいきました。
 そして、南禅寺山門の場の「絶景かな、絶景かな」のせりふと男ぶりには、しびれてしまいました。
 山門がせり上がり、此下籐吉が現れるいわゆる「セリ上がり」に、兎忠君はすばらしい演出だと感心してました。

 浄瑠璃は、竹本綾太夫で、場面を大いに盛り上げてくれました。
 特に、南禅寺山門の場は、ぐっと来ました。

 なんと言ってもびっくりしたのは、南禅寺山門の場の前に出てきた唄と三味線(大薩摩?)が、人間国宝の鳥羽屋里長と杵屋栄津三郎だったことです。筋書きには彼らの名前が載ってないのが不思議ですが、松竹(それとも吉右衛門か?)の新橋演舞場での五月大歌舞伎への力の入りようが伺え、来年も大いに期待させてくれました。

京鹿子娘道成寺

 福助の娘道成寺です。
 福助にとって、襲名披露以来14年ぶりの東京での道成寺だそうです。

 この有名な演目ですが、私にとっては縁遠い存在です。
 見たことはあるはずなのですが、記憶にあるのは、所化の所作だけです。
 
 記憶にある限り、初めて、白拍子花子の衣装の引き抜きをちゃんと見ました。
 ちょっと、後見の糸を引く準備が気になってしまいましたが、すばらしいものです。一瞬で衣装が替わってしまうのですから。
 
 最近の福助は、先月の万野といい、今月昼のお梶といい、チャレンジはするものの、ちょっとピントはずれで、目標に届かない役を見ることが多かったのですが、この白拍子花子の踊りは大したものだと思いました。
 踊りはよく分かりませんが、早い手振りでもぴたりと止まりますし、後ろにぐっとのけ反る姿は、ここまで反るのかというほど反ってきれいでした。

 長唄は鳥羽屋里長一門、お囃子は田中傳左衛門社中と豪華。
 里長が唄っていないとき、本を見ながらなんか考えている様子を見せていたのが気になりました。

 所化として、歌六、歌昇、友右衛門、福助の子供たちが勢揃いします。
 この中では筆頭格の種太郎は、高校生ということもあり、しっかりしてます。
 隼人は父の信二郎にそっくりですぐ分かります。
 歌六の長男の米吉は何でこんな目をしているのかというほど、大きなたれ目で目立ちます。
 みんな、今後が楽しみな子供たちです。

松竹梅湯島掛額

 初代吉右衛門の当たり役を当代が演じるとうこの芝居ですが、吉右衛門の三枚目とは柄ではないので心配でした。
 ところが、筋書きを読むと、その柄ではない初代が真面目なその性格故に笑いを取ったとあって、当代もきっとうまくやってくれそうと期待して臨みました。

 実際見てみると、案じるより易しの言葉の通り、吉右衛門が軽妙洒脱なせりふ回しで笑いを振りまきます。
 この人のいいところが、繊細なせりふ回しであることを再確認させられた演目となりました。

 還暦を迎えた吉右衛門の歌舞伎への取り組みをドキュメントにしたNHKの番組を見ても思いましたが、この吉右衛門という人は、本当に真面目で繊細な役者さんです。元々そんなに器用でないところに、努力を重ねていい結果を生んでいるような気がします。
 今回の紅長の役柄も、自分の演技力で笑いを振りまこうという気などさらさら無く、何とか初代のように演じようというまっすぐな気持ちが伝わってきます。しかし、還暦を迎えただけあって、肩の力はちゃんと抜けているようです。
 随所に今はやりのお笑いのせりふがちりばめられ、観客の笑いを引き出します。
 そうした中でも、さすがに、吉右衛門が「あるある探検隊」をやるとは思いませんでした。
 ただ、兎忠君は、自分は9時以降のテレビを見ていないから分からないせりふが多すぎると憤慨していました。

 本演目の白眉は、亀治郎のお七です。
 序幕の笑いを誘うお姫様ぶりもお上手でしたが、なんと言っても大詰めの人形ぶりが圧巻でした。
 踊りの善し悪しはよく分かりませんが、指先までぴしっと気が入っていて、人形らしい身振りになっています。
 ただただ、熱情的な踊りに見入ってしまいました。
 人形遣いの又之助らも気合いが十分でした。(が、本当は黒子の力みは見えてはいけないのでしょうが。)

 一方、お相手の吉三郎を染五郎が演じますが、役なのでしょうか、どうもぴしっとしません。

 ふんぞり返ったお役人長沼六郎を信二郎がそれこそ熱演です。
 お茶と間違えて、灰を飲んでしまう演技も、つぼにはまってました。

 だめなのが釜屋武兵衛演じる歌六です。せりふはそれらしくしゃべっていますが、視線や仕草に全く気合いが入っていません。
 流しているという感じです。

 他に、芝雀、歌昇、由次郎、芝喜松らが好演です。

 つまらないことですが、お七の女友達を演じる4人の中の紫若はちょっと年がごまかせません。芝のぶちゃんと一緒というは無理というものです。

 四ッ木戸火の見櫓の場の浄瑠璃は、竹本葵太夫が見事でした。 

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平成18年5月新橋演舞場昼の部

2006/05/18 08:36
 吉右衛門にとって23年ぶりという新橋演舞場での歌舞伎公演だそうです。
 今後は毎年の恒例としたいとのこと。
 今月歌舞伎座では、恒例の團菊祭が行われていますが、吉右衛門劇団の復活により、往年の2大劇団時代再現となるのでしょうか。
 メンバーは、段四郎、歌六、芝雀、歌昇、福助、信二郎、染五郎、亀次郎と芸達者な人たちがそろいました。
 いにしえの吉右衛門劇団を支えていた播磨屋、萬屋、高麗屋、成駒屋、京屋勢に澤潟屋が加わった形です。
 記者会見では、吉右衛門劇団の再結成というよりは、若手の育成の場というようなことを話していたようです。

 歌舞伎座では團十郎の快気舞台ということで話題になっていますが、私の歌舞伎座参りは今月はお休みで、吉右衛門目当てで、久しぶりの演舞場となりました。

 この日は、初めて演舞場の3階席です。
 3階から眺めると、歌舞伎座よりも小さいことに気が付きます。舞台も近く感じます。
 演舞場が1428席で、歌舞伎座が1956ですからずいぶん違います。
 ロビーもエスカレーターを新たに設置したせいもあるのか、狭く感じます。
 新歌舞伎座の噂が流れてきてますが、ロビーは今時を見習っていただいて広く作ってもらいたいものだと思いました。

 お昼は贅沢にも愛妻弁当。
 焼き鳥、きんぴら、おひたしにおにぎりで満足、満足。 

ひと夜

 宇野信夫の処女作で、雀右衛門の襲名披露以来42年ぶりの上演だそうです。
 今回は、雀右衛門が42年前に演じたおとよを息子の芝雀が、歌舞伎での初演時初代吉右衛門が演じた田口を歌昇が、松太郎を信二郎が演じます。

 大正時代の演目なので、歌舞伎と言うよりは新劇です。
 女性を女形が演じているのが歌舞伎らしさでしょうか。

 話は、小悪魔的女に翻弄される二人の男のひと夜を描いたなかなかよくできた話しですが、演目としては、田口宅内のおとよの場面にもっと集中して、イントロダクションをもう少しはしょった方がよかったように感じました。

 芝雀が田口と松太郎という二人の男を翻弄する小悪魔的な女を演じます。
 可憐な外見はぴったりですが、いつものお姫様の声ではなく、妖艶な女を意識してかいつもより声を低く、ねっとりしています。
 いつもの声よりも父の雀右衛門に似ているように感じるのが不思議です。
 その声が良いのか悪いのか、分からないまま劇は進みます。
 見ている間、何故か分からない違和感を感じていましたが、見終わってみると、その原因は芝雀の台詞にあると確信しました。
 二人の男を翻弄する小悪魔としては、甘いも辛いも知り抜いたような声でそれを明らかにするのではなく、やはり持ち前のお姫様の声で、外見を装い、実は・・・・というように見せるべきでした。
 ついでにちょっと肥えているのも気になりました。

 信二郎は、おとよにめろめろですぐ嫉妬に狂う、エキセントリックな優男を熱演しました。
 後の演目の一寸徳兵衛とあわせ、結構芸達者なところを再発見した次第です。

 歌昇の田口は、これまで歌昇が演じたところを見たことのないタイプです。
 チャレンジでしたが、もっと純真、ぼくとつで、実は心に傷を持っているところを表して欲しかったです。

寿式三番叟

 染五郎と亀次郎の二人による三番叟です。

 染五郎は三番叟をよく踊っています。
 歌舞伎座で松廼寿操三番叟をやってましたし、先日NHKで、三響会(田中傳左衛門兄弟)で野村萬斎と競演した二人三番叟もやってました。
 松廼寿操三番叟の熱演は今も脳裏に焼き付いています。
 二人三番叟では萬斎の野趣溢れた演技に対して、柔らかな踊りだったことが強く印象に残っています。歌舞伎界では元気溌剌に映る染五郎も、萬斎と比べると柔に見えてしまうことにびっくりしました。

 この寿式三番叟ですが、筋書きでは、染五郎、亀次郎が藤間勘十郎と一緒に新たに作ったと紹介されてますが、イヤホンガイドでは、澤潟屋の家の芸として紹介してました。

 実際に見たところ、演目としての完成度が高くびっくりしました。
 これは、新しく作ったとはいうものの、元々がちゃんとあったためということでイヤホンガイドのいうことのもなるほどでした。
 
 翁を演じる歌六、千歳を演じる種太郎は、特に不可なく見せました。

 三番叟を踊る染五郎と亀次郎は、それぞれがどうということではなく、二人の一体感がよく出ていて見事でした。
 この二人、つい2ヶ月前の3月にはPARCO歌舞伎で大活躍してました。
 特に亀次郎は、それまで私の記憶に残ったことのない役者でしたが、俄然注目株になりました。
 今回、この二人をよく見ていて気が付きましたが、亀次郎の方が古典的な顔をしていて、染五郎は現代的な顔です。
 そういう意味からは、立ち役としては、亀次郎の方が時代物、染五郎は世話物の方が似合うということになりそうです。

 この演目でびっくりしたのが、音楽が竹本であるということ。
 といいますか、竹本が語らずに唄っているのを初めて聞きました。
 ちょっと異様に感じます。
 三番叟の唄は豊後節系統の方がいいと思います。

 鳴り物は田中傳左衛門社中です。
 萬斎との二人三番叟の時は、小鼓連打にびっくりしまいましたが、今回も結構連打でした。
 少し座る位置が傳左衛門だけ前だったのは意味があったのでしょうか。
 筋書きでも、傳左右衛門だけ小鼓ではなく、立鼓となっていますので、立鼓は前に出ることになっているのでしょうか。

夏祭浪花鑑

 本日期待の演目です。

 夏祭浪花鑑といえば、筋書きの上演記録を見ても一目瞭然ですが、勘三郎の当たり役という印象です。
 平成になってからの14回の公演のうち、8回が勘三郎(勘九郎時代)です。
 私は、平成中村座NY公演のNHK生中継を見てましたが、実は、最後まで見る気にはなりませんでした。
 本演目の結構陰惨な面ばかりが見る前から刷り込まれていたせいと、勘三郎の演技が鼻についたせいでした。

 今回も、大阪が舞台の世話物が吉右衛門に合うとは思えなかったので見るつもりはなかったのですが、どなたかが書いた劇評で絶賛されていたため、見る気になりました。

 大阪が舞台の世話物という意識が強いとアレエ?思うところがあるのかもしれませんが、私のような非関西陣には逆にほどよい加減でした。
 むしろ、福助のお辰の浪速ふうの色が他の人よりも強い演技は、鼻についてしまいました。

 全体として吉右衛門の活躍と俳優陣の粒がそろっていたため、いい舞台となっていました。

 吉右衛門は、勘三郎のような臭さがなく、存在感のある団七になっていました。
 腹のある演技に支えられ、立ち振る舞いのなめらかな美しさが絵になっていました。
 見せ場の大詰めで切る見栄のラッシュでは、しっかり動きが止まっていませんでしたが、あんなに見栄があるとむしろその方が見ていてリズムがいいのかもしれません。

 団七女房お梶を演じる芝雀は、侠客の女房らしい腹の据わりようですが、ちょっと肥えているのが気になります。

 元侠客の三婦を演じる段四郎は、相変わらず見事な押し出しですが、2、3箇所台詞が詰まってました。
 また、見た目も演技も、幡随長兵衛の唐犬そっくりです。
 もうちょっと二人の区別が付くような演技をして欲しいところです。

 一寸徳兵衛演じる信二郎は秀逸でした。
 きりりと上がった眉毛の顔に、しっかり腰の入った台詞が立派です。
 吉右衛門の団七に負けてませんでした。

 琴浦を演じる宗之助がきれいでびっくり。
 3階席から見ているせいでしょうか、トレードマークのあごの下のお肉が見えずにすっきりした美人です。
 声も、すんだ高い声。
 これがPARCO歌舞伎で長屋の女房を演じていた人とは思えません。

 一寸引っかかってしまったのが福助。
 心意気のある侠客の女房のはずが、悪婆のような感じになってしまってます。
 迫力はあったのですが・・・・。

 舅義平次演じるのが歌六。
 歌六のいつものややぎこちない演技も、役にはまっていい味を出していました。
 今回もまたお尻を何度も出して、お尻に自身があるのでしょうか。

 吉右衛門が座頭ということで、吉右衛門一門も大活躍。
 特に、吉之助は磯之丞を好演しました。
 歌舞伎座なら友右衛門の役所でしょう。

 最後に、御簾の中の義太夫の最後に登場した人気者の清太夫は、イヤホンガイドでは紹介してもらえてませんでしたが、私の聞き漏らしだったのでしょうか?

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十一世市川團十郎

2006/05/06 18:39
利根川 裕 著
1980年
筑摩書房

 十一世市川団十郎は、明治四十二年に生まれ、昭和四十年、五十六歳でなくなっている。
 いまの団十郎(十二代目)は実の息子。海老蔵(十一代目)は、実の孫に当たります。

 私の生まれる前に亡くなった俳優なので、それまでまったく知りませんでしたが、平成十五年五月の十一代目海老蔵襲名のおり、新海老蔵が、当時の人気スターだった、おじいさんに当たる十一代目団十郎によく似ていることが話題になったのを機に興味を抱きました。
 花の海老様と呼ばれた、戦後歌舞伎の一大スターのことをそれまで知らなかったことが、逆に興味を引かれました。
 
 戦前の歌舞伎界を担った、菊吉こと、六代目尾上菊五郎と初代中村吉右衛門や、戦後の歌舞伎を支えた、六世中村歌右衛門、七世尾上梅幸、八世松本幸四郎、二世尾上松緑などは、NHKの芸能花舞台で、○○の名舞台と銘打った番組を見たことがあるのですが、十一世団十郎または九世海老蔵の名舞台とは、聴いたこともありません。
 これは、多分、十一世団十郎は、比類なき人気スターではあったものの、「名優」と言うにははばかられる俳優だったからではないでしょうか。

 そんな想像を胸に、宮尾登美子の「きのね」と、本書をむさぼるように読みました。
 なるほど、十一世団十郎とは、八代目団十郎にも似た、比類なきスターだったのでした。

 その後、CS有料放送の歌舞伎チャンネルでは、九世海老蔵の舞台を何作か放映してくれて、私も見ました。
 「鳴神」、「源氏店」、「仮名手本忠臣蔵 一力茶屋の場」と、いずれもNHKの舞台放映で、当時の海老蔵人気が伺えます。
 画質は、アップ以外は表情もよく分からないような代物ですが、海老蔵のいい男ぶりと、すばらしい台詞は十分堪能できます。

 海老蔵の素顔は、ほんとに、なんてことのない平凡な顔ですが、化粧した舞台の顔は何とも言えないいい顔です。
 時代劇の二枚目俳優は何人もいますが、海老蔵の顔は、それらに人々と比べると、切れがないようにも思えますが、十分男らしい中に、逆におっとりした、優しさを感じさせます。そして、なんと言っても物理的に顔が大きいのが舞台で映えます。

 次に、その声は、大きく、はっきりとしていて、いいのです。
 いわゆる口跡が良いというような、台詞の切れが特別に良いわけではないのですが、ゆったりとこちらをいい気持ちにさせてくれる、リズムの良い、大きい声なのです。
 リズムが良いというと、もっといい人はいっぱいいます。むしろ、よくないのかもしれません。ここらあたりは下手ウマの良さというのでしょうか。
 そして、大きな声です。このように、舞台役者の声は大きくなくてはいけません。

 演技は、決して巧いとは言えないのですが、いわゆる大きさを感じさせる、何とも見ていて気持ちの良いものです。

 私が見たことがある舞台は上述の通りで、著者があげる、「なよたけ」、「若き日の信長」、「源氏物語」、「助六」、「馬盥」等々の舞台は、これまでのところ眼にすることは出来ないのですが、三つの舞台を見るだけでも、海老蔵の良いところは判るような気がします。

 十一世団十郎は、団十郎家に生まれたのではなく、七世松本幸四郎の長男として生まれ、九世団十郎の養子だった市川三升から請われて市川宗家の養嗣子になったのでした。弟には、八世松本幸四郎、二世尾上松緑がいます。いわゆる高麗屋三兄弟の頭領だったのです。
 この十一世団十郎の人間性に著者は迫ります。
 「きのね」でも、癇癪持ちの治雄(海老蔵)が、癇癪を爆発させる場面が何度も出てきます。
 著者は、十一世団十郎を「純真だがあまりにも素朴な総領の独善的使命感がありすぎ」、「柔弱な総領の独善的自己愛がありすぎます。」と指摘します。
 しかも、器用でない十一世団十郎にとっては、台詞を覚えるのも「単に言葉を暗記することではなく、その背後にある論理的必然を納得する」ことを必要としたのでした。
 この姿勢が、何とも言えない、十一世団十郎的な演技を生んだのでのでしょう。
 
 十一世団十郎は、大正四年に松本金太郎名で初舞台を踏んだ後、昭和四年に市川高麗蔵を襲名、昭和十五年に市川家の養嗣子となり、九代目市川海老蔵を襲名しましたが、昭和二十一年の「助六」を演じて注目されるまでは、大根役者と言われ続けたそうです。
 長男独特の独善的で、自己愛にあふれ、癇癪持ちで、他人にうち解けることが出来ない性格。
 だからこそ、遅咲きであったものの、花形スターになれたのかもしれません。

 著者は、世紀の団十郎襲名と、あまりにも短い団十郎としての舞台に昇った期間の出来事にも多くのページを割きます。
 市川家の権威を守ることに固執した養子としての団十郎の、おもてには醜くく見える姿の、心の底に迫ります。
 そして、ついに見ることの出来なかった十一世団十郎の円熟の演技を夢見ます。

 現団十郎は、市川家の芸である荒事にぴったりの容貌を持っていますが、何せ口跡がまずすぎます。
 言葉言葉の最初の音にアクセントがある特徴的なイントネーションは、十二代目を象徴するものですが、どうもいけません。これはもう治らないのでしょうか。
 十一代目の海老蔵は、容貌に恵まれ、時代の歌舞伎を担う役者として嘱望されていますが、これも口跡がもう一つです。
 不器用なところを起点とし、おじいちゃんの低い、大きな声を自分のものとし、海老蔵的、団十郎的演技を作りだしてもらいたいものです。

 歌舞伎チャンネルさん、もっと十一世団十郎の舞台映像を発掘放映してください。

 書評のHPは、こちらです。http://www.st.sytes.net/kabuki/
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芝居絵に見る/江戸・明治の歌舞伎

2006/05/01 08:52
 平成14年に、歌舞伎誕生400年を記念して発行された本のようです。

 タイトル通り、年代を追って、項目ごとに、芝居絵に解説を付け、歌舞伎の形成から明治の歌舞伎に至るまでを追います。

 芝居絵と適切な解説が、項目ごとに見開きにまとめられてあり、まさにビジュアルに迫ってきて、NHK特集でも見ているようです。
 このため、歌舞伎の歴史がとてもよく分かります。
 文章だけの文献ではなかなかここまでわかりやすくはならないでしょう。
 
 かぶきおどり
 荒事に和事
 江戸歌舞伎に上方歌舞伎
 団十郎に籐十郎
 猿若町に観覧劇
 鶴屋南北に河竹黙阿弥
 ・・・・
 
 知りたいことは大抵載っています。

 私にとっては、芝居小屋の錦絵に興味が尽きません。
 今の下手の御簾のあたりにも客が詰めてたり、土間は芝居そっちのけでお客がいろんなことをしています。

 2代目市川団十郎の助六姿も載っています。
 今の助六の姿とほとんど変わりません。

 名作案内として、有名な演目についての錦絵と解説も載っています。
 
 歌舞伎好きの人は、演目解説本とは別に、是非お手元に。
 私も最初は図書館から借りて読みましたが、やはり手元にと購入してしまいました。

早稲田大学演劇博物館 編
小学館
平成14年
¥1,600円

 過去の書評はこちらです。http://www.st.sytes.net/kabuki/index.htm
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平成18年4月歌舞伎座夜の部

2006/05/01 08:49
 六世歌右衛門五年祭夜の部に行って参りました。
 席は、兎忠くんのリクエストにより、二階最前列。でも一番上手側。

 早めに銀座に出て、ちょいと買い物を終えた後、三越の地下でお弁当を仕入れる予定でした。
 ところが、三越の前でいざ鎌倉と意気込んだところ、兎忠が強い抵抗を示しました。歌舞伎座の中で売っている弁当がいいと言うのです。三越の地下二階を一周してどうだと言ってもだめでした。

 兎忠の言葉に従って、歌舞伎座の食事予約どころに向かったところ、席で食べれるお弁当のメニューはいつも通りの幕の内とお寿司の二種類だけ。
 天むすの気分だった私は「仕方がないなあ」と思いながら、お寿司弁当を頼みました。
 しかし、いつもは少し高いなあと思いながら買うお弁当ですが、三越で見たお寿司のお弁当はもっと高かったので、結構得した気分。さらに、実際食べたものは、この前よりもできたてだったのか、とてもおいしかったので、二人とも満足満足でした。
 (実は、食事の出来る幕間になると、食事予約どころに出来合の弁当が何点か並ぶのでした。すっかり忘れてました。)

「井伊大老」

 お目当ての演目です。
 幸四郎が演じたのを見て以来、今回が二回目です。

 平成十六年十月の松本白鴎二十三回忌追善狂言として演じられれたときは、序幕の井伊大老邸の奧書院の場、桜田門に近い暗い壕端の場、元の奧書院の場がきちんと上演されましたが、今回は、お静の方の居室の場のみです。

 このためか、前回見たときは井伊直弼が主役に見えましたが、今回はお静の方が主役に思えました。役者の存在感とは別に、前段があるかないかでずいぶん違う印象を受けるものだと改めて思った次第です。
 また、よく言われることですが、通し上演をせず、おいしいところだけつまみ食いをするような歌舞伎座の上演スタイルを恨んだ一幕でした。

 さらに、定評のある吉右衛門演じる井伊直弼も、非情といわれながらも実は一人悩んでいたところがより浮かび上がっていた幸四郎の方が良かったように感じました。
 これも、幸四郎の方が序幕があったおかげでしょうか。また、今回は、二階席と前回よりも離れていたため、吉右衛門の表情がよく見えなかったことも影響しているのかもしれません。

 逆に、お静の方を演じる魁春は、相変わらずの魁春節でありますが、雀右衛門が演じたお静の方よりも存在感がありました。直弼が部屋住み時代から支える糟糠の妻の情が強く伝わってきます。
 ただ、よく考えると、足軽の娘であるお静は、存在感はむしろ薄く、かわいらしさが強く出た方がいいのかもしれません。 そうした意味では、雀右衛門のお静の方の方がかわいらしかったような気がします。

 仙英禅師は富十郎が演じますが、これは、仙英禅師そのものと思わせるすばらしい演技でした。。
 幕が開くと、仙英禅師がお経を上げていますが、筋書きで確認するまで誰が演じているのか分かりませんでした。白塗りでない富十郎は珍しいので、分からなかった次第です。しかし、よく思い出してみると、愛子ちゃん初お目見えの時の良寛さんと一緒です。
 
 と、いろいろ書いてきましたが、一つ、二つの引っかかりをのぞいて、吉右衛門の演技はすばらしく、涙涙で幕を閉じたのでした。

「六世歌右衛門五年祭追善口上」

 追善口上というものを始めて拝見しました。
 これまで、追善興行は、何度も見てきたつもりでしたが、毎年行われている團菊祭には口上がありませんし、他によくあるのは「興行」ではなく「追善狂言」であることに気がつきました。

 失礼を承知で申し上げますと、中村松江の襲名披露口上にしては、わざわざ一幕をもうけるのを不思議に思っていましたし、さらに、筋書きを見て、なんと豪華な俳優が居並ぶものだとびっくりしているうちに幕が上がりました。
 しかし、冒頭の芝翫の挨拶を聞いて、今回の豪華な俳優陣の列座は、六世歌右衛門を惜しんでのものなのだと知って納得しました。

 今回の口上は、六世歌右衛門の功績が忍ばれる挨拶が続きましたが、MVPは左団次でした。
 今月の左団次の役は冴えませんでしたが、口上は冴えまくってました。
 その話とは、歌右衛門と一緒に麻雀をやったときの思い出で、熱いので裸になったところ、おへそが汚いと言われたという話で、場内が沸きました。
 菊五郎も、おさらいの最中「音羽屋!・・と言われるようにやるんだよ。」と言われたとのエピソードを紹介して、笑いを誘っていました。

「時雨西行」

 西行法師が、雨に降られて宿った先の遊女との出会いを描く舞踏劇です。
 歌右衛門は歌舞伎としては演じていないとのことですが、西行法師を梅玉が、江口の君を籐十郎が演じます。
 長唄三味線は鳥羽屋里長社中で、鳴り物は田中田左右衛門社中です。

 西行の出で立ちは、勧進帳の四天王の装束を簡素にしたような姿です。
 もっとずだぼろな姿を想像していたこちらとしては、多少違和感を感じます。

 一方、里の宿の遊女が立派な身なりをしていてもあまり気にならないのはおかしい限りです。

 珍しいのは、長唄が結構分かること。
 それに、踊りもストーリーにあわせてシンプルなせいか、比較的わかりやすく、兎忠も居眠りせずに最後まで見ました。

 籐十郎の江口の君が普賢菩薩に見えるシーンでは、ちゃんとそれらしいポーズを決め、普賢菩薩らしく見えました。(兎忠くんには残念ながら見えなかったとのこと。)

「伊勢音頭恋寝刃(油屋、奥庭)」

 寛政八年(1796年)に実際に起こった事件を元に作られたという演目です。
 有名な演目ですが、実は今回が初めてです。
 兎忠くんは、筋書きを読んで「ニュース劇」だとおもしろく思った様子です。ストーリーもちゃんとあって、久々に「おもしろかった。」とのこと。

 確かに、良くできたストーリーで、豪華な俳優陣の熱演と併せて、大変楽しませてくれました。
 演出としては、貢をこれでもかというくらいにいじめて、次の殺しの場と本懐の成就を生かすという定石ですが、見ている方は、いじめられている場面では腹が立って仕方がありません。

 福岡貢を演じる仁左衛門は、柄にぴったり合って大変すばらしい出来でした。

 時蔵演じるヒロイン役のお紺も、大変きれいでいい出来でした。

 梅玉は、料理人の喜助をこれまたうまく演じます。まさにぴったんこ。

 東蔵は、不細工なお鹿を熱演。舞台にいいメリハリを与えていました。

 勘太郎は、本演目では女役。声が大きいのはいいのですが、ちょっときつく感じました。また、仕草も、もう少し柔らかさが欲しいところでした。

 万次郎を松江が演じますが、前段が省かれているせいか、どう評していいのか分からないまま、舞台を去ってしまいました。

 そして、今回の白眉は、万野を演じる福助です。嫌な仲居の役を、これでもかというくらい嫌に熱演しました。
 この人は、お姫様よりも、こうした役の方がいい味を出します。
 六世歌右衛門の万野は絶品だったと聞きますが、残念ながら見ていないので比較できません。歌舞伎チャンネルでいつかやってもらいたいものです。
 
 他に、団蔵ら大勢が支えるいい舞台でした。

 これまでの観劇評はこちらです。http://www.st.sytes.net/kabuki/index.htm

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平成18年4月歌舞伎座昼の部

2006/05/01 08:36
今月は、六世中村歌右衛門五年祭です。
 とても豪華な顔がそろいました。
 また、六代目中村松江襲名、五代目中村玉太郎初舞台も披露されます。

 当初、今月は、夜の部だけに行く予定でしたが、忙しいはずの兎忠くんに、急に何も予定がない日曜日ができたため、前日にチケットweb松竹でチケットを取りました。今月は、結構空いているようです。三階の二列目が取れました。
 兎忠くんには、前日にいろいろ宿題をだして、ちゃんとやったら歌舞伎座に連れて行ってあげると言って尻をたたきました。何とかその宿題をこなして、歌舞伎座に向かいましたが、ついたらいつもの通り、食いしん坊の兎忠でした。

 まず、最初に、昼飯をどうするかを協議。
 天むす弁当がいいという私に対して、馬鹿の一つ覚えのように歌舞伎そばを主張する兎忠君。
 結局、次週の夜の部ではお弁当ということにして、今週は、歌舞伎そばにすることにしました。
 一回目の幕間に、三階ロビーで紅白の餅入り鯛焼きを焼いているの発見したものの、じっと我慢し、二回目の幕間にそばをいただきました。兎忠くんは先月に引き続いて、ナメコそば。私は、とろろそばをいただきました。とろろにウズラの卵が落としてあり、のりが少々振りかけてある付けダレで食べるそばは格別でした。
 もちろん、食後、鯛焼きもいただきました。

「狐と笛吹き」

 北條秀司作・演出の新歌舞伎。
 昭和二十七年七月の歌舞伎座で、三世市川寿海と六世中村歌右衛門により初演された作品だそうです。
 今回は、六世に縁のある梅玉と福助が演じます。
 
 まずびっくりしたのは、作品の舞台が王朝時代なのに、せりふが現代語であることです。
 平安貴族の姿形をしている登場人物の口から、現代語が出てくるのは、最後まで違和感がぬぐえませんでした。

 物語は、妻を亡くした笛吹と、妻にそっくりな姿で現れるた狐の子の悲しいラブストーリーです。
 妻にそっくりな娘が助けた狐の子供が化けたものであったことが分かったときが前半の山、ちぎりを結ぶと死んでしまうと言われていてもちぎってしまい、子狐が死んでしまうのが結末となっています。
 ちぎれば死んでしまうと言われていながらちぎってしまうという、他者をいたわることのない自虐的なストーリーは、歌舞伎らしくないというか、日本的ではない違和感を感じました。
 狐を死なせたくないので分かれるとか、ちぎっても死ぬのではなくて狐に戻ってしまうとかいうストーリーの方がぴったりくるのではないでしょうか。
 新しい演劇にチャレンジしている北條秀司の気概がそういうストーリーにさせたのでしょうか。

 現代語のせりふによる違和感さておき、梅玉は、先立たれた妻を忘れることの出来ない繊細な笛吹きをよく演じていました。この人はこういう役はぴったりはまります。

 子狐の化けた「ともね」を演じる福助は、各所に工夫を凝らしていましたが、十分に練れているようには思えませんでした。
 春方に猫なで声を出して甘えるのは、子狐であることの証のつもりなのかもしれませんが、単にきゃぴきゃぴした現代のお嬢さんのように聞こえてしまいました。二日目だったので、だんだんと工夫がうまく行ってくれることを期待します。
 子狐であることは、子供っぽいということではなく、単に若いということで割り切ったらどうでしょうか。

 春方の友人秀人を演じる我當は、逆に現代語がはまっていてびっくりしました。これからは、貴族や武家の言葉よりも、現代語一本槍でいった方が・・・・・行かないですよね。

 歌江は、お手伝いのおばあさんをいい味出して演じています。

 脇を友右衛門、男女蔵、松也、宗之助らひとかどの俳優たちが固めますが、これといって活躍する場面がないのが残念でした。

「高尾」

 高尾と言えば、中央線の駅の名前と言っちゃあだめでしょうか。
 伊達騒動の一因ともなった有名な傾城の名前だそうですが、その名を聞くのは今回が初めてではありません。 
 でも、どこで聞いたのか、思い出せません.........

 三階席だということもあって、今回は、イヤホンガイドを借りました。
 舞踏では、唄の中身が分からないと眠ってしまうので、イヤホンガイドが活躍します。
 ところが、雀右衛門が奈落から上がってきて、踊りが始まると、兎忠がイヤホンガイドを奪ってしまいました。
 兎忠も少しは頭を使ったようです。

 唄と三味線は、荻江(おぎえ)という長唄を吉原流に変えたもので、三下がりが特徴だそうです。
 やはり聞いても分かりませんが、筋書きによると、身の上、廓勤めの苦しさ、地獄の責めの苦しみを踊って(唄って)いるのだそうです。

 八十五歳の雀右衛門は、遠くから見るといまでも美しく見えます。
 しかし、最近は足がどうも良くないようで、足の動きがぎこちありません。

沓手鳥孤城落月(ほととぎすこじょうのらくげつ)
 私のワープロソフトでは「ほととぎす」で「沓手鳥」とは出てきませんで、「時鳥」と「不如帰」の2種類しか出てきません。広辞苑を引くと、9種類の書き方が出てきます。俳人松岡子規の「子規」もホトトギスのこと。「沓手鳥」とは、この歌舞伎の演目でしかお会いしたことがありません。

 坪内逍遙作の沓手鳥孤城落月は、先代辰之助(現松緑の父)が出演していたものを歌舞伎チャンネルでやっていましたが、これまで何度見ても、冒頭の二の丸乱戦の場をちらり見るだけで飽きてしまって、先に進むことが出来ませんでした。
 今回は、初めて、場内山里糒倉階上の場まで見ました。

 本作は、見てみれば誰にも明らかなことに、二の丸乱戦の場は、次の場内山里糒倉階上の場を盛り上げるためのまさに前段。しかし、合戦風(まさに合戦ですが)の立ち回りも大きな見物になっています。
 三階席からだと、役者さんの顔が分からないのが残念ですが、そうした中で、裸武者は目立ちます。
 その裸武者を橋之助の長男国生が演じて喝采を得てました。十歳というのにずいぶん大きく見えます。しかし、ちょっと太り気味でお肉がゆるゆるしていたのが残念です。
 さらに、この場、梅玉の部屋子中村梅丸が小姓役で初披露。非凡な才能を伺わせました。

 徳川方に降伏するか、自害して果てるかで揺れる場内山里糒倉階上の場は、錯乱した淀君を芝翫が熱演。狂った女を十分の存在感で演じました。平家蟹の玉虫の役やこの淀君の役などは、芝翫にはぴったりです。

 コクーン歌舞伎の勘三郎とは別行動の勘太郎が秀頼を演じます。先月のPARCO歌舞伎の役所とは違って、今月はシリアス一辺倒ですが、めきめき力をつけているのが分かります。つい一年前の勘三郎襲名興業の時とは迫力が違います。秀頼そのものに見えました。

 今月、孫が初舞台の東蔵は、大野修理之亮で登場。豊臣家を一身に背負いつつも、青白さを感じさせる大野をうまく演じます。

 そして、なんと左団次が氏家内膳役で登場。この役、左団次という必然性は感じませんが、見た目は戦国武者風十分です。しかし、二日目とあって、せりふを何度か詰まらせてしまいました。

 淀君付きの侍女を率いる大蔵の局は、秀太郎。大変豪華な布陣です。

 秀逸なのは、吉之丞の正栄尼。決まり切った型だとは思いすが、秀太郎の大蔵の局を完全に食っていました。(ということは、もう少し押さえた方がいい?)
 
 そのほか、梶の葉の局役のしのぶ、包丁頭大住与左右衛門役の信二郎、饗庭の局役の芝喜松がいい演技をしていました。

「関八州繋馬(かんはっしゅうつなぎうま)小蝶蜘」

 この聞き慣れない演目は、近松門左衛門の絶筆で享保九年(1724年)に初演されて以来演じられることがなかったものを、昭和四十五年六月の歌舞伎座で舞踏劇として再構成して、六世歌右衛門の如月姫他で復活上演したものだそうです。
 しかし、その後歌舞伎座では再演されることなく、今月、六世の五年祭に、玉太郎の松江襲名および新玉太郎の初舞台を祝い、菊五郎、仁左衛門、時蔵、吉右衛門の大顔合わせで、約三十五年ぶりに再復活です。(国立劇場では、平成十五年に雁治郎の近松座が演じているようです。)

 関八州とは、平将門が創った独立王国を指しているものと思われます。しかし、今回演じられたのは、副題の小蝶蜘にちなんだ部分だけです。

 将軍太郎良門と小蝶は、将門の遺子。親の敵の源氏を討とうとします。
 第一場は、敵討ちに失敗して斬り殺された小蝶の霊が、蜘蛛の精が乗り移った小蝶蜘となり、源氏の頭領頼信の御台所の伊予の内侍を呪い殺そうとします。

 六世歌右衛門が演じた役を、今回は魁春が演じます。
 魁春演じる如月姫は赤い振り袖に黒い帯。踊りもぴしっと決まっています。いつもよりいいなあと思ったところ、顔(化粧)がいつもと違うような気がします。目の周りの朱のぼかしがいつもより薄くしてあるように感じました。魁春特有の言い回しも、今日は押さえてあったことも好印象の理由でしょうか。

 伊予の内侍は、時蔵。これも豪華な配役です。姫かんざしのお姫様が、ちゃんとお姫様らしく若く見えます。

 源頼信を菊五郎。隙のない風格で舞台を引き締めるのはさすがです。
 
 第二場の葛城山麓の場は、筋とは特に関係のない小休止の場面。
 今回は、新玉太郎の初舞台のお披露目をかねていて、吉右衛門と梅玉がごちそうで登場です。

 場面途中の口上では、新玉太郎君、大変大きな声で、立派にご挨拶が出来ました。子供特有の舌足らずのところもなく、行く末楽しみです。

 大詰めの第三場葛城山中の場は、良門に荷担した土蜘蛛の精と良門とを葛城山中に討伐する場面です。
 頼信は、一門の四天王と呼ばれる武者を引き連れ、弟の頼平とともに、二人(?)を相手に大立ち回りを演じます。

 頼平は、新松江。この人、頼平の武者ぶりがとても立派ですが、せりふが残念ながら舌足らずです。

 四天王を歌昇、信二郎、松緑、権十郎とこれまた豪華。
 中でも、歌昇は群を抜いて立派です。
 松緑は、今回はせりふも比較的すっきりしてました。この人、顔の部品が真ん中に集まっているのが、迫力を少しそいでいて損をしています。

 将軍太郎良門を仁左衛門。
 この良門は大変立派。せりふも、これまで聞いたことがないような低い声で迫力をだします。これが仁左衛門の声かとびっくりでした。

 問題は、魁春の土蜘蛛の精です。
 恐ろしい土蜘蛛の精といえばその通りですが、その隈取りには魁春の顔かたちを認めることが出来ません。初めて隈取りを書くと聞いたので、下手ということなのでしょうか。すごく怖いといえばその通りですが、もう少し、線を細くしたりして、自分の顔も生かすようにした方がいいように思えました。
 もう一つ困ったのは、土蜘蛛が放つ糸です。舞台では、和紙で手作りされたという大量の蜘蛛の糸が放たれます。
 しかし、見ているこちらは、うまく開くか、後見によってうまく片づけられるかに気を取られ、俳優の演技が目に入りませんでした。(二日目なのでしょうがないのかもしれません。)

 この第三場は、舞台としては、悪役二人と源氏方がそれぞれ二手に分かれて大立ち回りを演じるという、大変ユニークな構成になっています。こちらも、上手を見たり、下手を見たりと大忙しではありますが、あっという間に感じられるほど楽しめました。

 兎にも角にも、豪華な俳優によりすばらしい舞台を拝見することが出来ました。

 観劇記のホームページはこちらです。http://www.st.sytes.net/kabuki/index.htm
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